ネットで得る幸福

1 最初に

 「理想と幸福」のタイトルでやろうとしてましたが、かなり長くなってきたんで分割することにしました。
 今回も当たり前のこと書いてるだけですが、読めばもう先の展開はわかってしまうかと思います。
 いつものごとく「まとめ」だけ読めば十分です。

  1. 最初に
  2. まとめ
  3. 情報の性質の差
  4. 情報の量の差
  5. コミュニケーション形態の違い
    1. リアル
    2. ハンドル
    3. 匿名
    4. ROM
  6. 選択性
  7. 様々な社会の構築
  8. 最後に

2 まとめ

 ネットの利点は情報伝達の速さと量の多さ。更に匿名性が組み合わさり、リアルとは異なる社会が無数に構成される。自分がいくつの、どのコミュニティに、どの程度まで所属するかを自由に選ぶことができ、自分に合った居場所が探しやすい。それだけ孤独とは無縁になりやすく、精神的平穏、即ち幸福が手に入りやすくなる。

3 情報の性質の差

 当たり前ですがリアルとネットはコミュニケーション形態が根本から違います。
 そもそもコミュニケーションとは「情報のやり取り」ということを念頭において、その主な方法を比べてみましょう。
 
 リアル → 口頭会話を聴き話す
       → 耳で聴き口を動かす
         → 聴覚と口を用いる

 ネット → モニタに出力された文字を見て書きこむ
       → 目で見て手でキーボードやマウスを動かす
         → 視覚と手を用いる


 これ一つとっても扱う情報の性質が異なっているとわかるでしょう。
 リアルとネットはコミュニケーションで用いる主な感覚や器官からして違うのです。

4 情報の量の差

 性質の次は量を比べてみましょう。
 ネットは回線を通じて世界中と繋がっており、信号のやり取りは非常に高速です。
 しかも情報が残されることが前提となっていて、消す意志を持たなければ消えません。
 逆にリアルで接触できるのは限られた範囲に留まります。
 また、文字はまだしも音声や映像などで情報を残すことは非常に面倒で、残す意志を持たなければ残せません。
 ネットはリアルと比べてコミュニケーションの規模が大きく、距離にほとんど依存しない高速なやり取りが可能で、情報が残りやすい。
 こういった性質によりコミュニケーションの際に扱われる情報量に莫大な差が生じます。

5 互いの認識の違い

 このように情報の性質や量が異なるリアルとネットですが、それにより人々の互いの認識も異なっています。
 情報の性質と量だけがコミュニケーションに関係するのではありません。
 コミュニケーションとは「情報のやり取り」ですが、「やり取りする相手」がいて始めて成立します。
 その相手をどう認識するかでコミュニケーションの方法とは変化します。


 次からは例なんで 6 まで読み飛ばしても問題ないです。


 相手の認識の変化を見るために下記の4つの例を取り上げます。

  1. リアル
  2. ハンドル
  3. 匿名
  4. ROM

 話を分かりやすくするために以下「デイビット」に登場してもらいましょう。

5-1 リアル

 まずはリアルでの話。
 デイビットは周りからどう見えているでしょうか。
 周りが見た「昨日のデイビット」と「今日のデイビット」を比べると、もちろんそれらは「周りから見たデイビット」として同じ人物です。
 また、その「周りから見たデイビット」は「デイビット自身から見たデイビット」とも同じ「デイビット」という存在です。
 過去と現在の「デイビット」は連続している同じ人物として認識され、自他の「デイビット」の認識も一致します。

5-2 ハンドル

 しかしネットの場合そうはいきません。
 デイビットは「プリスキン」、「スネーク」という二つのハンドルを持っています。ネット上ではどういった認識を受けているでしょうか。

 デイビットがネット上で「プリスキン」と名乗っている限り、彼は周りから「プリスキン」として認識されます。
 「昨日のプリスキン」と「今日のプリスキン」を両方とも同じ「プリスキン」として扱われます。これは「プリスキン」を「スネーク」に置き換えても成り立ちます。
 また、基本的に周りからは「デイビット」、「プリスキン」、「スネーク」がそれぞれ別の人物と認識されます。
 デイビット自身しか「プリスキン」=「スネーク」=「デイビット」であると知りません。
 リアルとネットの各々の人物がそれぞれ同じであるかどうか、自分はわかる一方で周りはわからないのです。
 ハンドルを使い匿名性を上げると、過去と現在で連続した同じ人物だと認識される点はリアルと変わりませんが、自他の「デイビット」の認識は不一致となります。

5-3 匿名

 匿名性を更に上げるとどうなるでしょうか。
 デイビットはもうハンドルを使うことはなく、不特定多数の中の一人となります。
 周りから見ると「デイビットが演じた昨日の匿名の人物」と「デイビットが演じた今日の匿名の人物」は、それぞれが独立した同じ存在だとみなされます。更に、それぞれを「デイビット」が演じたと証明することなどほとんど不可能です。
 過去と現在でその都度不連続な人物となり、自他の「デイビット」の認識も不一致です。

5-4 ROM

 なにも書きこむ義務があるわけではありません。
 デイビットはROMに徹することもあります。
 その場合、周りは「デイビット」や「プリスキン」、「スネーク」、「デイビットが演じた人物」いずれの存在も認識することが出来ません。例えデイビットがそこのサイトなり掲示板なりの常連であっても、そこに「デイビット」や「プリス(以下略)がいるということはデイビット自身しかわかりません。
 過去と現在が不連続になるどころか認識すらされず、それゆえ自他の「デイビット」の認識は完全に不一致となります。

6 選択性

 大まかに考えただけでも、上のようにリアルとは構造が根底から異なる社会がネットには生まれています。
 リアルでは社会の構成員になると必ずそこに存在して周りとの関係性を持たなければなりません。
 また、自分に合った環境を選ぶことがなかなか出来ず、自分に合わないからと言って逃げ出すことも難しい。
 しかしネットではハンドルを替えて違う人物と認識させたり、その場限りの匿名の人物となったり、ROMしたりと、そのコミュニティとの関わり合いの度合いを自分で選ぶことが可能です。
 そのため一度選んだものから離れることや、やめることも容易になります。
 数ある社会の内どれをいくつ選んでも選ばなくてもよい。
 リアルで生じる様々なしがらみから解放されています。
 ネットならば自分の所属するコミュニティを自由に選び、替え、増やし、減らすことが可能なのです。

7 ネットで得る幸福

 掲示板、チャット、SNSなど様々なコミュニティ形態をとるネットでは、それぞれ文化を大幅に異にした社会が構築されています。
 ただネットに繋ぐだけでその社会の構成員となる条件を満たせますし、属する場所を決めるのは自分自身です。
 構築された社会のどれもがリアルとは異なる性質を持つので、人々はリアルだけでなく多彩な選択肢をネットに用意でき、ネットが無かった時代よりも自分の居場所を見つけやすくなっていると言えるでしょう。
 自分の居場所を見つけやすいということは、それだけ孤独感から疎遠になって精神的平穏が訪れやすくなるということです。
 精神的平穏すなわち幸福。ネットをすれば幸せになれるんです。

8 最後に

 ネットは「コミュニケーションの方法数を劇的に増加させた」という一点だけ見ても大変素晴らしいものです。
 世の人は規制なんて言ってないでもっとネットを使うべき。


 少しだけのつもりだったのにこんな長文に……。
 「そもそも最初から間違ってるから」とか粗探しはいつでも歓迎しています。


 次回「理想と幸福」
 また予定変更するかもしれませんが。