悪魔祓いの儀式

まとめ

 スリランカの悪魔祓いの儀式は、クラスタと個人を繋げる役割を果たす。それを発見した上田紀行氏は、そのような社会システムを日本社会に導入しようとしたがいまだ実現せず。

最初に

『スリランカの悪魔祓い――イメージと癒しのコスモロジー――』
 Amazonにリンク貼っておきますが、もう絶版になっています。著者の上田紀行氏は他にも幾つか著書があるようなので、もしかしたらそれらの中でも語られているかもしれません。私が図書館で借りて読んだのは昨年なので細部は覚えてないのですが、この本に書かれていることを掻い摘んで紹介します。

  • 悪魔祓いと呼ばれる儀式は実際にある
  • 実は合理的な方法だった
  • 「癒し」という言葉にのせられた意味

悪魔祓いと呼ばれる儀式は実際にある

 スリランカの田舎には悪魔祓いが実際にあり、いまだに行われています。*1 悪魔に憑かれた人から悪魔を追い出すんですね。それは悪魔祓い師、シャーマンが依頼を受けて行っています。*2 ちなみに平均的な料金でも、払えないこともないけども気軽には頼めない程度だそうです。
 悪魔に憑かれた患者とは心が原因の病をもっていることが多いそうです。一種の精神病を患った状態を表しているといえるでしょう。上田氏は実際にスリランカで何年も過ごして、その研究を行っていました。

実は合理的な方法だった

 長くなるので詳細は省きますが、悪魔祓いの儀式はサイモントン療法という、現代精神医療の中でイメージ療法に分類される治療法とかなり似た構造を持ちます。一晩中続く一連の儀式を行い、「悪魔が憑いた人から悪魔を追い出す」=「心を病んだりした人を治療する」という結果を生み出します。伝統的な儀式が現代医療に近いものがあるというのは不思議なものを感じさせませんか?
 しかし、上田氏は悪魔祓いには単なる精神療法以上の価値があるはずと考えます。色々苦労されたようですが、その末に悪魔祓いの儀式には「コミュニティから孤立した個人を再結合し、ネットワークを再構築する」効果がある、という結論にたどり着きました。
 悪魔に憑かれた患者の中で多い症例が、孤独感により周囲とのコミュニケーションを取れなくなったり、周囲を信じられなくなってしまうといったことです。*3 悪魔祓いの儀式を行うことにより、患者の精神を癒すわけです。悪魔祓いの儀式の工程の中に「村人みんなで漫才やコントを見る」というものがあって、それを見て患者も村人も一緒になって笑うことにより、患者が皆との一体感を取り戻し、孤独感が払拭されるのです。*4

「癒し」という言葉にのせられた意味

 現在の日本では、学校、職場、近所などで個人が諸般の事情から孤立してしまっても、すぐに皆の輪の中に溶け込みなおせるような環境が失われつつあります。精神病だけでなく、自殺や犯罪も孤独になり周囲から孤立してしまったことに起因するものが少なくありません。そこで上田氏は、そうした問題が容易く解消される、悪魔祓いの儀式が行われるような効果が生じる社会を「癒しの社会」と名付け、その構築を提唱しました。*5 この本が出版されたのが1990年。現在の状況を鑑みるに、残念ながら、なかなか広まってはいないようです。
 しかし、この「癒しの社会」素晴らしいとは思いませんか? どうにかして実現した世界が見たいものです。

最後に

 この「癒し」の概念に私はおおいに感動し、大きな影響を受けて今に至ります。


次回「理想と幸福」
急遽入れた前回を除くこれまでの3回は次回のための布石というかなんというか。今回のエントリに対する私なりの考えをば。
次回の一回でうまくまとめられればいいのですが。

*1:首都周辺では「近代化を妨げる地方住民の迷信」とされているようです。

*2:以前は専業シャーマンが多かったそうですが、現在は農業のかたわらに行うシャーマンがほとんどだそうです。

*3:他にも出産に不安があるだとか様々な理由で悪魔祓いは行われるそうです。中には毎年の恒例として特に病気でなくとも受ける人もいるそうです。

*4:悪魔祓いの儀式で治せないことも珍しいことではありません。ですが、その時でも患者達は「星の神様に祈ったら治った。悪魔のせいではなかった。など、悪魔祓いに否定的になることはほとんどないそうです。

*5:が、大衆に伝わったのは字面だけの「癒し」だけで、本来伝えたかったこと社会に浸透しませんでした。ですから現在は自ら「癒し」という言葉は使わないそうです。