挑戦怖い


危険も苦難もない生があるか
それでなくてもひ弱な人間は数十年で死ぬ
ならば進め人間よ
踏み出して苦難を取れ
踏み出したものがより多くのリスクを負うは当然だ
だがそれが何だ?
安全圏で惰眠を貪る腐った豚よりよほどマシ
掴むに値するものはリスクの先にあるさ

魔法先生ネギま! 183時間目 Evangeline A. K. McDowellのセリフより

 内容は前回とかなり重複します。前回は集団間での壁を越えるというものでしたが、今回はそれとは少し異なる、生きる上での選択全てにおいてのこと。何かするか、何もしないかの選択で付いて回るリスクをどう考えるか。


 「日本は組織主義だから秩序が乱されるのが嫌なんだ」と聞いたことがあります。ある基準より上過ぎても下過ぎても周りから睨まれてしまいます。ですから新しいことに挑戦することがあまり推奨されない。例えそれが良い結果を招くものだとしても、それまでのルールが変わってしまうので秩序が乱れてしまうから。また、失敗はもちろん秩序を乱します。どちらに転んでも、それまでの秩序が乱れてしまうわけです。なので挑戦すること自体があまり好まれない、という話です。

3/10追記
 成功したときは問題ありません。失敗してしまったときは厳しいものがあります。
以下追記
 失念していました。目立ったり周囲よりも成功すると嫉妬や羨望というものに苛まれることがありえます。そこまでいかなくても一歩引かれてしまうことはよくあります。それを怖れて行動しなくなるということも。成功したからと言って問題ないということもないのですね。


では失敗するときを考えてみましょう。
以上追記


 日本人は失敗に厳しいのだそうです。以前テレビ番組で「100点満点中何点までなら良くできたと言えるか」という企画では日本人は90点以上という回答が多く、海外だとそこまで高い国はありませんでした。平均が60点ほどになっている国もありました。
 また、手作業による金属などの部品加工でもそれは表れます。例えばドリルで穴を開ける位置を全くズラさずに開けるのはまず不可能で、プラスマイナス幾らかの許容誤差が存在しますが、その中心を狙うのは日本とドイツの職人だけだそうです。だいぶ胡散臭く感じる話ですが、加工を専門にする人から聴いたので本当なのでしょう。日本の変態技術も、こうしたこだわり、言い換えれば失敗を許さないことから生まれてきているのかもしれません。


 小さい失敗でも多少白い目で見れらることは多々ありますし、比較的大きな失敗に対する糾弾は凄まじく、徹底的に行われます。古来は村八分があったりしました。現代はさすがにそこまではいきませんが、一回でもそうしたことを起こせば後々までそれは付いてきます。これは日本だけに顕著な問題なのかはわかりませんけどね。集団からはじき出される怖さがあるので、なかなかリスクある行動が取れません。


 でも、それでは今の社会で生きていけません。引用文では「惰眠を貪る腐った豚」などと言われる有様です。リスクがあるのは、それは背負うだけの価値があるからこそです。失敗してもまた挑戦すればいい。失敗を怖れずに前へ前へと進む意志を持ち、最後に成功していれば過程など微々たる問題ではないでしょうか。

最後に

 実際は失敗のリスクが社会的地位だけとは限りませんし、リスクを全く勘定せずに行動することは愚の骨頂ですが。
 前回といい今回といい今更間が漂いまくりなテキストですが、次回以降必要なので致し方なく。これらの概念を一言で表せればよいのですが、語彙や文才が乏しく、わざわざ分けて書く必要が生じてしまいました。書かなくても良かったぐらいなのですが、残念ですね。次回以降が本番。


次回「悪魔祓いの儀式」
次々回「理想と幸福」
とは言っても次回はほとんど受け売りの話です。